2010〜2011シーズン

2010〜2011 SEASON 

22 大山19

(期日)2011年2月 (宿泊)朝霧山荘 (移動手段)自家用車
 (大山HP)http://www.daisen.jp/ski/
 (朝霧山荘HP)http://www.gaina.net/asagiri/

体験記


↑スタート前にフリー練習をする長男

↑インスペクション

↑バーンが硬かったのでずれ気味で
した。

 

 いよいよジュニア部最大の目標である西日本小学生アルペン大会。今年で28回を数える歴史のある大会だ。3年前に初出場した3年生の時にはいきなり学年別で5位に入賞する事ができた。その後暖冬の影響で2年ほど大会が中止になっていたのだが、今年は時期を1ヶ月ほど早め久しぶりの開催が実現した。高学年になると県外の選手との差が顕著になり、なかなか入賞は難しい状況だが、10位まで表彰をされるのでそれを目標に大山を訪れた。

 大会のエントリーが7時半からという事で遅れると大変なので、いつもより少し早く家を出た。約3時間で現地に到着し、すぐに着替えて、エントリー場所へ。ゼッケン番号は4番だった。前回の成績順にエントリー番号が決定されるので、小さい数字を取ることができた。この大会はゼッケンを記念品としてくれていたのだが、今年からゼッケンを回収するとの事。経費節約の波はこんなところにも押し寄せていた。中々このような小さい番号は取れないので、残念だった。

 大会は昨年まで奥の国際ゲレンデを使っていたが、今年からは一番手前の上の原ゲレンデに場所が移動した。レースの前に足慣らしの練習を行う。昨晩冷え込んだようで、雪面はカリカリのアイスバーン。一緒に滑っていた妻がいつの間にか姿が見えなくなったので、どこへ行ったのかと思っていたら、ネットにかかって半時間ももがいていたと言う。

 さて、いよいよ時間が来て長男のスタート。通常は雪面の整った早い順番のスタートが有利なのだが、鏡面のように硬いバーンは手強かった様だ。上の旗門で大きく下に落ち、タイムは46秒と平凡な数字。結局14位で入賞はならなかった。

 昼からはジュニア部の練習に加わる。今シーズン何回か大山を訪れたが、吹雪いている日が多く、こんなに天気の良いコースが見渡せる環境で練習ができたのは初めてではないか?大会の閉会式終了後、筆者もポールに入る。練習の予定はなかったので、プロテクターを着けずに入ったら腕を思いっきりぶつけてしまい、一週間ぐらい痛みが消えなかった。

 3時過ぎまで練習をした後、温泉へ出かけ、夕食。夕食のメニューはジンギスカンだった。夕食のメニューは毎週変えてくれているのだが、巡り合わせが悪く4年前に食べて以来ジンギスカンに出会えたことはなかった。次に食べられるのがいつになるか分からないので4年分はたらふく食べた。夜は板のチューニングをして就寝。

★ ★ ★


↑アトミック大会1本目。順調な滑り出し。

↑1本目を終えて満足そうな長男。

↑2本目。スタート順が変わって、緊張が・・・

↑板が引っかかって飛んでしまいました。残念。

 翌日はアトミックの大会。今年初めて出場する大会だ。上位20名は全国大会に推薦される大きな大会で、選手は遠くは山梨や長野からも参加をしていた。レース前に何本かリーゼンコースでフリー練習。筆者も長男に続いて滑っていたら、子供が横から出てきて板が交錯。転倒し、思いっきり後頭部を雪面にぶつけた。筆者のかぶっている帽子は全面新素材「3do」が内蔵されており、衝撃が加わると石のように硬くなって頭部を守ってくれるはずだったが、思いのほか衝撃が走った。これからスピードを出す時にはヘルメットをつけるようにしよう。幸い子供は何の怪我もなく、レース会場へと足を進めた。

 この大会は2本のタイムの合計で争われる。長男は2番スタートだった。傾斜の強い所は多少ずれがあったようだが、フィニッシュをうまくまとめタイムは36秒40。第22位に入っている(55名中)。長男のすぐ後に出走した香川のS君は前日の西日本大会でトップになり、長男とは8秒もの差をつけたが、今回はわずか2秒差。2本目をうまく滑れば、20以内に入る可能性も見えてきた。 

 昼食を食べて、2本目のスタートワックスを塗って、順番を待つ。ところが、次々と選手が出走していく中、中々長男の番号が呼ばれない。ゼッケン番号を見ると、ずいぶん下位の選手がスタートしている。号令係に聞いてみたら「132番はもう出ています」との返事。どうやら長男を飛ばして次の選手を送り出したようだ。

 途中で列に入れてもらって出走したが、気温の高いこの日のバーンは後になるほどコースが荒れていて不利である。数旗門回った後、転倒。タイム的にみると、1走目位の滑りをすれば、20以内に入ることができそうだったが、残念ながらDFでエンド。長男は納得がいかないらしく、「もう閉会式には出ん」と言って宿舎へ戻る。転倒は出走順のせいではないと思うが、スタート前に気持が混乱したのは否定できない。この大会の全国大会は皆川賢太郎の実況中継+インターネットでの全国放送もつくので小学生最後の年に出場できればよい経験になったのだが、これまた残念であった。(ただ、全国大会は東日本大震災の影響で中止になった)